今から7年前のこの時間、
私と3歳の娘は、マンション7階のリビングにいました。
揺れが始まり、すぐに娘を、低いテーブルの下に入れ、
私は、パソコンと自分の頭だけテーブルの下にいれて、テーブルの下から投げ出されそうなくらいの横揺れだったので、手のひらで床にしがみついていました。
揺れが収まった後、すぐにパソコンから「我ら無事」とうち、主人からもすぐ返信がきて、その後通信は途絶えました。
娘は地震をあまり理解していない様子で、怖がることなく、キョトンとしていました。
テレビをつけ、その光景に、私の生きている間にこんなことがあろうとは、と絶句。
品川に職場のある主人は、帰宅困難者となり、歩いて翌日朝12日の朝5時頃帰宅。
仙台に母と住む、主人の弟と数日連絡がとれなかったが、無事を確認。
数日後、その弟よりメールが来て「家の中の食べ物は全部食べつくした。買い物にいっても何も売っていない。食べ物を送ってくれ」とうメールがきた。
「宅急便は動いてないが、郵便局のバイク便が使える。」ということで
郵便局で梱包用封筒を買えるだけ買い、イオンに食料買出しに。
しかし、イオンについた時点で、仙台に送れるような食べ物は完売。
わずかに残っていた缶詰、さつまいも、おやつで栄養がありそうなもの、などをかき集め、梱包し、毎回10個弱だっただろうか、送れるだけ送ること3回。3回送る間に、食料は確保できる状態になったようでした。
さつまいもが一番嬉しかったとのこと。
後日、私達が住む地区で、5回計画停電。
懐中電灯に使う乾電池の予備が自宅にない。
近くの店ではどこでも売ってない。
関東のどこにも電池売ってない。
静岡の友達に聞いたら静岡でも乾電池はどこにも売ってない。
そこで、静岡の友達が、広島の親戚に頼んでくれて、やっと乾電池二本が、広島の方から送られてくる。
以上、3月11日以降の我が家の動き。
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2年前、仙台から転校してきた子のお母さんの言葉。
「関東じゃ、地震のことは忘れられてるって肌で感じるなぁ。もう過去のことなんだろうなー、こっちじゃね。でも、うちらの中じゃ、全然終わってないんだよねぇ。感覚が全然違うって、思います。」
私も東北出身者だから、彼女もこうつぶやけたのかもしれません。
何かしなくっちゃと思いつつ、時はあっという間にたってしまうもの...。
そこで、チャンス・フォー・チルドレン(CFC)で、サポート会員になりました。ここなら安心して寄付ができそう。
教育格差はどこで生まれるかというと、塾とか、習い事とか、そういうことにお金をかけられるかどうか、なんだそうです。
極端に言うと、東大に入学できるのは高い塾代を払える金持ちが多いってこと。
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